「トレッキング?香港で?そんなにいいの??」
香港旅行を前に、まったく知らなかった香港のトレッキングをすすめられ、パンフレットやネットを見てみると、とにかく景色が素晴らしい。
「おぉ〜!行ってみたーい!!」とテンションが上がった。
前回の続きです。
わたしは大学時代、学業もそこそこに、大鍋やテントを積んで山を駆け回っていたサイクリング部員だった。そして今は、京丹後の自然や文化を発信するALL Tangoメンバーのハシクレでもある。自然豊かで素敵な場所には、とても興味がそそられる。
さらに、身長が低い(という理由だと自分では思っている)ので、高いところから眺める景色が大好きだ。登山する山を選ぶときには「山頂の視界がひらけていて、景色が素晴らしいこと」が絶対条件。写真を見る限り、香港のトレッキングコースは、そんなわたしにうってつけのように感じられた。
ということで、期待を胸に香港へ向かった。
香港旅行を前に、まったく知らなかった香港のトレッキングをすすめられ、パンフレットやネットを見てみると、とにかく景色が素晴らしい。
「おぉ〜!行ってみたーい!!」とテンションが上がった。
前回の続きです。
わたしは大学時代、学業もそこそこに、大鍋やテントを積んで山を駆け回っていたサイクリング部員だった。そして今は、京丹後の自然や文化を発信するALL Tangoメンバーのハシクレでもある。自然豊かで素敵な場所には、とても興味がそそられる。
さらに、身長が低い(という理由だと自分では思っている)ので、高いところから眺める景色が大好きだ。登山する山を選ぶときには「山頂の視界がひらけていて、景色が素晴らしいこと」が絶対条件。写真を見る限り、香港のトレッキングコースは、そんなわたしにうってつけのように感じられた。
ということで、期待を胸に香港へ向かった。
6月の香港は暑い。この夏、ニッポンもそうとう暑いけれど、ホンコンは初夏の時点で十分暑く、まだ暑さに慣れていない体にはかなりこたえた。
ホテルの外へ出ると、まず強い日差しが肌に刺さる。続いて感じるのは、むわっとした熱気。小さな街の中に、見上げるほど高く、かなり古い高層マンションがガンガン立っていて、一斉にエアコンをかけているからなのか?そもそも亜熱帯気候だからなのか?(たぶんそっち。)とにもかくにも蒸し暑い。
ああもう〜っ。キッツーイ!!とガマンできなくなって、うっかり涼しいスタバ@香港へ入りそうになる。(香港に着いてから、ほぼ毎朝通っていた。笑)
いやいやいやいや。今日はトレッキングだ。他の何をおいても、トレッキングだけは行ってみたいと思って来たのではなかったか。
スタバの素晴らしい涼しさと、大好きなカプチーノやスイーツの映像を、ブンッ!と頭から振りはらって、いざ出発。
ホテルの外へ出ると、まず強い日差しが肌に刺さる。続いて感じるのは、むわっとした熱気。小さな街の中に、見上げるほど高く、かなり古い高層マンションがガンガン立っていて、一斉にエアコンをかけているからなのか?そもそも亜熱帯気候だからなのか?(たぶんそっち。)とにもかくにも蒸し暑い。
ああもう〜っ。キッツーイ!!とガマンできなくなって、うっかり涼しいスタバ@香港へ入りそうになる。(香港に着いてから、ほぼ毎朝通っていた。笑)
いやいやいやいや。今日はトレッキングだ。他の何をおいても、トレッキングだけは行ってみたいと思って来たのではなかったか。
スタバの素晴らしい涼しさと、大好きなカプチーノやスイーツの映像を、ブンッ!と頭から振りはらって、いざ出発。
香港のトレッキングコースは、前述した香港政府観光局が紹介しているだけでも30ほどある。帰国後に調べてみると、50〜100kmにもおよぶ長いコースが4つあり、そのほかに大小50近いコースが整備されているらしい。
おもしろいと感じたのは、そんなトレッキングコースを作ったのが香港人(中国人)ではなく、イギリス人だったということ。
日本では昔から数々の登山道が作られてきた。
古いものでは、昨年、開山1300年を迎えた富山県の白山。修験道(日本古来の山岳宗教が仏教に取り入れられた、日本独自の宗教)の僧侶、泰澄が奈良時代に開山したとされ、現在もたくさんの登山道が整備されている。おそらく、そんな時代よりずっと前から、日本の山は登られてきたであろうと想像できる。
一方、同じアジアでも、香港にはそのような山岳信仰も、山登りを楽しむ文化もなかったらしい。そもそも、香港の地質は火山噴火によってできた火成岩が大半を占めており、植物が育ちにくい地盤であるため、アヘン戦争後にイギリス統治が始まった1840年代当初は、岩山だらけだったとも言われている。
さて、ではどのような経緯で森林が増え、数々のトレッキングコースが整備されるまでに至ったのか?次回につづく。(MK)
おもしろいと感じたのは、そんなトレッキングコースを作ったのが香港人(中国人)ではなく、イギリス人だったということ。
日本では昔から数々の登山道が作られてきた。
古いものでは、昨年、開山1300年を迎えた富山県の白山。修験道(日本古来の山岳宗教が仏教に取り入れられた、日本独自の宗教)の僧侶、泰澄が奈良時代に開山したとされ、現在もたくさんの登山道が整備されている。おそらく、そんな時代よりずっと前から、日本の山は登られてきたであろうと想像できる。
一方、同じアジアでも、香港にはそのような山岳信仰も、山登りを楽しむ文化もなかったらしい。そもそも、香港の地質は火山噴火によってできた火成岩が大半を占めており、植物が育ちにくい地盤であるため、アヘン戦争後にイギリス統治が始まった1840年代当初は、岩山だらけだったとも言われている。
さて、ではどのような経緯で森林が増え、数々のトレッキングコースが整備されるまでに至ったのか?次回につづく。(MK)