仕事がないから都会に行くのだ、とは昔よく言われたこと。田舎に仕事があれば誰も都会になんか行きたくない、と。一面では正しいと思う。個人差はあれど、生まれ育った場所でずっと過ごせるのが望ましいと考える人は多い。一時的に生まれ育った場所を離れたとしても、早い段階で戻って来て生活をしてほしいと考える親は多いのではないか。人は環境により規定される生き物なので、生まれ育った場所の水、空気、食物で生活を成り立たせるのが自然だろうと僕も思う。
その一方で、若者は都会を目指す(近頃は少し違ってきているようだが、それはそれで別の問題を内包している)。都会には若者を惹きつけて止まないものがある。自分のやりたいことにチャレンジできる舞台はいろんな方面にさまざまあるし、日々の生活は刺激的だ。人が多いので、自分と気の合う人を見つけるのもたやすい(だろう)。周りの目を気にせずに、やりたいことができるし、好きな時間に寝て好きな時間に起きれば良い。食べたいものは24時間どこでも手に入るし、便利至極な環境。
ここまであまり明確な定義をせずに「田舎」と「都会」という単語を使ってきたが、そもそも田舎とはどのような場所を指すのか。丹後は田舎か、人口が2千人強の伊根町は田舎と言えるだろうが、5万人いる京丹後市は田舎か。個人的には、伊根町に遊びに来た大学生が定義してくれた「車しか移動手段がない場所は田舎だ」というのは魅力的な定義に映る。公共交通機関が発達していなくて、どこに行くにも車を運転しなければいけないところ。車の運転が好きではない僕にとっては、この点では田舎は苦痛だ。(車なんて持つよりタクシーを毎日でも使った方が廉く済む、と言っていた父親の言葉が恨めしく響く。)
話しが脱線したが僕の定義では、田舎とは、「自分を成長させてくれる場所がない」、さらに言えば「刺激がない場所」ではないかと考えている。仕事はもちろん大切な要素ではあるが、都会のスーパーで働くのも田舎のスーパーで働くのも時給が変わるだけで仕事の内容に違いがあるわけではない。それよりも、ぴりぴりした緊張感のある場、新たな出会いの場やおしゃれをして出かける場など日常とは違う空間がない、また人間の好奇心を刺激するような、人間誰しもが持っている創造性を刺激(インスパイア)するような空間がないことが、人を田舎から都会へ向かわせる要因なのではないか。
もしそうだとすれば、田舎に何らかの「刺激的な場」がない限り人は田舎に住もうとは思わないだろう。大事なことは、人間の持つ可能性を最大限に引き出せるような環境、人の持つ創造性を刺激するような場を整えることなのではないか。都会の真似ではなく田舎のやり方で、つまり自分たちなりのやり方でそのようなことが出来れば、「社会的イノベーション」が起こりやすい土壌を作ることができるのではないか。ATでやりたいことはさまざまな「刺激的な場を作ること」。ありていに言えば、そういうことだ。
では具体的にどんなことが出来るのか、出来そうなのか。次回はそれを考えてみたい。(KT)
その一方で、若者は都会を目指す(近頃は少し違ってきているようだが、それはそれで別の問題を内包している)。都会には若者を惹きつけて止まないものがある。自分のやりたいことにチャレンジできる舞台はいろんな方面にさまざまあるし、日々の生活は刺激的だ。人が多いので、自分と気の合う人を見つけるのもたやすい(だろう)。周りの目を気にせずに、やりたいことができるし、好きな時間に寝て好きな時間に起きれば良い。食べたいものは24時間どこでも手に入るし、便利至極な環境。
ここまであまり明確な定義をせずに「田舎」と「都会」という単語を使ってきたが、そもそも田舎とはどのような場所を指すのか。丹後は田舎か、人口が2千人強の伊根町は田舎と言えるだろうが、5万人いる京丹後市は田舎か。個人的には、伊根町に遊びに来た大学生が定義してくれた「車しか移動手段がない場所は田舎だ」というのは魅力的な定義に映る。公共交通機関が発達していなくて、どこに行くにも車を運転しなければいけないところ。車の運転が好きではない僕にとっては、この点では田舎は苦痛だ。(車なんて持つよりタクシーを毎日でも使った方が廉く済む、と言っていた父親の言葉が恨めしく響く。)
話しが脱線したが僕の定義では、田舎とは、「自分を成長させてくれる場所がない」、さらに言えば「刺激がない場所」ではないかと考えている。仕事はもちろん大切な要素ではあるが、都会のスーパーで働くのも田舎のスーパーで働くのも時給が変わるだけで仕事の内容に違いがあるわけではない。それよりも、ぴりぴりした緊張感のある場、新たな出会いの場やおしゃれをして出かける場など日常とは違う空間がない、また人間の好奇心を刺激するような、人間誰しもが持っている創造性を刺激(インスパイア)するような空間がないことが、人を田舎から都会へ向かわせる要因なのではないか。
もしそうだとすれば、田舎に何らかの「刺激的な場」がない限り人は田舎に住もうとは思わないだろう。大事なことは、人間の持つ可能性を最大限に引き出せるような環境、人の持つ創造性を刺激するような場を整えることなのではないか。都会の真似ではなく田舎のやり方で、つまり自分たちなりのやり方でそのようなことが出来れば、「社会的イノベーション」が起こりやすい土壌を作ることができるのではないか。ATでやりたいことはさまざまな「刺激的な場を作ること」。ありていに言えば、そういうことだ。
では具体的にどんなことが出来るのか、出来そうなのか。次回はそれを考えてみたい。(KT)