都会の持つ「刺激的な部分」と田舎の持つ「豊かな部分」。動と静。陰と陽。太陽と月(ちょっと違うか)。その二つをうまく調和させることはできないか。日々の生活は豊かな時間の中に淡々と過ぎていくけれど、時にボワッと炎が上がる瞬間がある。それは音楽を聴くことだったり、絵画や彫刻に触れることだったり、映画を観ることだったり、レストランで美味しい料理を食べることだったり、バーで楽しくお酒を飲むことだったり、はたまた図書館で偶然に面白い本に出会うことだったり、極めつけは面白い人との出会いによってもたらされるだろうか。そこに組み合わせたいのは、海辺で焚き火をすることだったり、満天の星空を見上げることだったり、広葉樹の森を散策することだったり、波の音に耳を澄ませるようなこと。
そんな環境の中で、自分の可能性を信じて何かに没頭する瞬間が持てれば、それが何を生み出すかどうかは別として人は幸せに生きていけるのではないか。若ければ奇想天外な夢を見て、周りの理解が得られなくても突っ走って行けるだろう。成功も失敗も織り交ぜながら、たくさんの人が自分のやりたいことに没頭する。そんな積み重ねが世の中を豊かなものにしていく。
丹後の地においてATが出来ることと言えば、まずは「いい大人が楽しく遊んでいる、しかも一所懸命に」。目の前に豊富にある海や川や山や森で、眩しい太陽と満天の星空の下で遊びに没頭している。「いい年して馬鹿だね〜。」と言われながらも遊ぶイメージか。まずそれが第一歩。
「一所懸命遊ぶ」ためには、地形のことは知らないといけないし、人々の暮らしにも目を向けなければいけないし、世の中の動きにも敏感にならないといけない。世界で起こっていることにアンテナを張り巡らせなきゃいけないし、何が「面白いのか」突き詰める必要がある。つまり、至極真面目に「面白さ」を追求するという作業が待っている。決して楽しいことばかりではない。
そうやって磨きをかけたプログラムであれば、きっとオリジナリティの高い、クオリティの高いものが出来るだろう。そこまで突き詰めてやるならばこそ「ATらしさ」が出来てくるのだろう、そう考えている。(KT)